例会のご案内

9月9日(今週)


クラブフォーラム



9月16日(次週)

卓  話
「健康宣言」
廣内 章平会員


9月23日(次々週)


定款による休会



 
 
 
 
 

 

 例会・事業の報告
 

  【2026年9月2日 会長の時間】  

  ロータリーの黎明(続き) 
    3回目の会合は1905年3月23日に、シルベスター・シールの事務所石炭置場で開催され
  ました。シルベスター・シールの会社で会合を開いたのを記念して、ポール・ハリスの指名で初
  代会長にシールが就任しました。依頼された事はどんな事でも快く引き受けるという、ロータリ
  ーの伝統として現在に引き継がれています。
   その時の会合で「ロータリークラブ」と名称が決定致しました。また、会員の身分、役職等が
  1
年限りとし、ローテーションする事が決定されました。
   4回目の会合は、ショーレイの洋服屋で開催されました。以降7回目の会合からは、ホテル
  やレストランで開催される様になりました。このころまでに以下の事が決まりました。
    1. 定例の会合と一人一業種性による職業分類の原則が必要条件となった。
    2. 昼食会を兼ねて開催すること。
    3. 当初は2週間に一回だったのが、週一回にすること。
   この様にごく平凡な商店主や中小企業の経営者で発足した職業人の親睦団体は、仕事上の
  互いの互恵もあって加速度的に会員が増加してゆきました。
    以上ここまでで、会長の時間を終わります。
    ありがとうございました。 合掌



  【2026年8月26日 会長の時間】

   ロータリーの黎明

    823日に開催されました小野加東中学校親善野球大会の表彰式には、阿江委員長をは
 じめとして13人もの沢山の会員に参加して頂きまして、本当にありがとうございました。

    決勝戦は1対0の良い試合でしたが、何よりもあの炎天下で元気一杯にプレーをする子供達
 のエネルギーに感銘を受けました。ありがとうございました。

    次にロータリーの黎明期について話をします。次の四人のメンバーで設立されました。先ずポ
 ール・ハリス(1868~1946)若き弁護士でした。他には、石炭商のシルベスター・シール、鉱
 山技師のガスターバス・ロア、洋服生地商のハイラム・ショーレイの面々です。
   ロータリークラブの設立は、1905年(明治38年)2月23日とされています。その日のシカゴ
 の夜はとても寒い日でしたが、ハリスとシールはレストランで夕食を摂りながら、ロータリークラ
 ブの結成の構想を練っていました。その後、ロアとショーレイが待機していたロアの事務所に行
 きました。
  その時に四人で話し合って決めたことは、一人一業種で親睦を深める会を作る、実業人だけ
 でなく、法律家・医師・宗教人とあらゆる職業の人を集めること事であった。
  次の二回目の会合は、ハリスの弁護士事務所で3月9日にありました。クラブの主旨と今後の
 可能性について討議し、メンバーは事業の経営者・共同経営者若しくは会社役員であることが
 必要ということと、会合の持ち方を「会員の事業所を持ち回り」とすることを満場一致で採択しま
 した。
  以上ここまでで、会長の時間を終わります。

   ありがとうございました。   合掌




【2026年8月19日 会長の時間】

ロータリークラブの誕生

   1905年(明治38年)2月23日にシカゴRCが設立されました。若き弁護士であったポーリ・ハリス
が発起人となり、他3人の友人ガスターバス・ローア、シルベスター・シール、ハイラム・ショーレと共に、
立ち上げました。
  当時のシカゴの街は、著しい社会経済の発展の陰で、商業道徳の欠如が目立つようになっていまし
た。彼らはこの風潮に耐えかねて、お互いに信頼できる公正な取引をし、仕事上の付き合いがそのま
ま親友関係にまで発展するような仲間を増やしたい、という趣旨でロータリークラブという会合を考えました。

   ロータリーとは集会を各自の事務所持ち回りで順番に開くことから名付けられたものです。

   それからは、志を同じくするロータリークラブが、次々と各地に生まれて、国境を越えて、今では200
以上の国と地域に広がり、クラブ数36、824、会員総数110万人以上に達しています。

   この様に歴史的に見ても、ロータリーとは職業倫理を重んずる実業人、専門職業人の集まりなので
す。ありがとうございました。     合掌




【2026年8月5日 会長の時間】

私の中学生時代

   昭和41年(1966年)に、地元の市場中学校に入学しました。その後、昭和55年に近隣の来住中
学校と合併して、小野南中学校になった為に、母校はありません。

   1クラスは44人の2クラスだったので同級生は88人でした。割と出来の良い学年だったので、小野
高校の普通科に12人入りましたが、一方で高校に進学せずに就職した同級生は、10人近くいたと
思います。そんな時代だったのですね。
  部活動は卓球部に入りましたが、先輩がいなくて教えてもらうこともなく、3年間で一度も勝った事
はありませんでした。
  自慢できる事としては、二年生の時に校内の弁論大会で優勝して、そのあと東播大会に行って準
優勝したことがありました。
  高等学校への進学ですが、小野高校と国立明石工業高等専門学校(5年制)に合格しました。担
任の先生は、後者を強く薦めました。理由は「お前の頭では、小野高校に行っても国立大学は無理
や、家の経済状況からは私立の大学は厳しいのと違うかな」とのことでした。

   悔しくてたまらなかったので、小野高校に行って絶対に国立大学に入ってやる、と強く決意して進学
したことを、昨日の事の様に思い出します。

   ありがとうございました。    合掌




【2026年7月29日 会長の時間】

今週の会長の動き

    726日(日)に地区のクラブ活性化ワークショップが、神戸駅前研修センターで開催されまし
  た。芝本幹事、久後副幹事、田中副会場監督と私の四人で参加してきました。

   始まりは1030分、終了は5時でした。休憩は昼弁当の30分のみでした。スケジュールとして
は、かなりきついものでした。
 出席者名簿を見て小野加東ロータリークラブはすごいな、流石だなとつくづく思いました。四人の
全てのメンバーが参加しているのは本会を含めて、4クラブだけでした。
 全体の流れとしては、先ず基調講演としては、講師 田中 久夫氏(高崎RC)が話されました。
「そうだったのか、ロータリークラブ」の著者のロータリアンで、会長の時に64人だった会員を一年
51人増員したことで有名な、カリスマ性のある講師でした。
 その後は、会員増強、クラブ運営管理、DX,規定審議公共イメージ、に関する説明がありました。
続いて会場を移動してグループ毎の研修会になりました。全員が11のグループに分かれました。

   ワークショップとは、聞いたことがありますか。ネットで調べましたが、参加型で行う講習会、研修会。
話しながら学ぶ体験型の研修会とのことです。
 私のグループは会長10人の集まりたったのですが、色々な情報交換ができて有意義な時間でした。

   終わった後は、渡瀬副会長も合流して5人で楽しい懇親会をして、充実したロータリーライフを満喫
した1日でした。 合掌




【2026年7月15日 会長の時間】

  私の幼少期

  1954年(昭和293月にこの世に生を受けました。未熟児だった様です。そのせいか小学校の
 半ばくらいまで背丈は クラスで前から23番目でした。

  保育園の頃の記憶はほとんど無いのですが、唯一覚えているのは、毎朝母親に連れていって
 もらい母親の顔が見えなくなると、めそめそと泣いていてそばの優しい女の子が、よしよしと慰め
 てくれていた事だけは良く覚えています。

  小学校になってもおとなしい子供だったのですが、5年生になって突然性格が変わった様で、そ
 の頃の通信簿にはクラスのボスと所見欄に書いてありました。学校で問題を起こすたびに竹の棒
 で頭をたたかれ、母親は呼び出されていました。両親には迷惑をかけましたね。

  五年生の頃の思い出としては、もう一つ鮮明なものがあります。その頃は毎晩8時頃に寝ていま
 したが、布団に入ると母親が枕元に来て、「何で勉強せえへんねん。一生懸命に勉強して賢くなっ
 たら、どんな仕事でも出来るようになるんやで」と繰り返し繰り返し説教してくれました。

  今思い返せば有難かったですね。お陰で今の私があるのですから。ありがとうございました。
  合掌




【2026年7月8日 会長の時間】


72年の人生を振り返って

    1954年(昭和29年)にこの世に生を受けました。只今72歳となりました。

    振り返りますと、脱サラして岡山大学歯学部に入学したのが25歳の時でした。浪人に換算すると
8浪でした。

    卒業したのは、昭和61年でした。歯科医師のライセンスを取ったのが31歳でした。

    その後、約3年間西宮の師匠の下で修行して、平成元年8月に生まれ育った今の土地で開業し
 ました。それから38年間、お陰様でいまも診療をさせていただいております。有り難いですね。

    その間に、50歳頃に人生の転換期、ターニングポイントがありました。それは糖尿病でした。元
 々母方が糖尿病の家系だったのですが、その頃に血糖値が上昇し本物の糖尿病になりました。
 それからは、高校の時の同級生の主治医の下で薬を服用したのですが、思う様に血糖値が下が
 らずに、副作用が辛くてどうしよう悩んでいた時でした。たまたま入った三宮のジュンク堂書店で運
 命の本に出会いました。京都の高雄病院理事長の江部康二先生の「主食を抜けば糖尿病は良く
 なる」という本でした。

    むさぼるように読んだ後、その通り炭水化物を取らなくなりました。自分では「五穀絶ち」自分で
 は「五穀絶ち」とよんでいます。すると一週間程で血糖値は正常値になりました。感動しました。そ
 れ以来薬を服用しなくて過ごしていましたが、三年ほど前から血糖値が上がり始めたので今は薬を
 服用しています。膵臓からほとんどインシュリンが出てないのでしょうね。でも只今元気ですよ。しか
 しながら命のある限り、炭水化物は口にしないつもりです。よろしくお願いします。ありがとうございました。 




【2026年7月1日 会長の時間】

 
 私とロータリーの出会い

私がロータリーに入会したのは平成29111日でした。62歳の時でした。推薦人は芝本
博文氏でした。本年度の幹事の芝本会員のお父様でした。

さかのぼること半年前に、昼休みに自宅に電話がかかってきまして、何事だろうと思って
でましたら、長井君ロータリーに入れへんか、とのことでした。

その時は、小野加東歯科医師会の会長をしていたので時間的なこともあり、丁重にお断り
しました。
そのあと何回か電話があり、入ります、との返事をしないうちに、気がつけば入会の
運びと
なりました。

それから10年経ちましたが、様々な学びがあり、ロータリーに入って本当に良かったなあ
と思っています。

1年間よろしくお願いいたします。